皆様こんにちは、営業の吉田です。
今回は、プジョーが日本車に影響を与えた逸話を書いてみます。
プジョーには日本のプリンス自動車第一号車「プリンス・セダン」のエンジン設計の手本となったという逸話が残っている。
第二次世界大戦直前、ブリヂストン創業者石橋正二郎は後援していた弁護士楢橋渡が渡仏する際に、「一番評判の良い小型車を買ってきてくれ」と依頼した。楢橋が選んだのはプジョー・202であった。
この202は戦中戦後にわたって石橋家の自家用車となったばかりでなく、その1,200ccエンジンは石橋がオーナーとなった富士精密工業が1951年に最初の4気筒1,500ccガソリンエンジン「FG4A」を設計する際の手本となった。
このエンジンは改良が加えられ、プリンス・日産合併後の1968年(昭和43年)まで、スカイライン等に使用された。
最終的に「プリンス・G1・G2」と呼称されたシリーズである。